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お返事と妄想自堕落日記
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自分用なのでたたみます。ときメモには全く関係ないのでどうぞスルーで。
昨日の演奏会で現代音楽への意識がかなり変わった。それまで食わず嫌い(というか聴かず嫌いというのか)だったけれど、それをかなりの勢いで取っ払われる演奏が聴けたのは本当に幸せなことだったと思う。
(けれどシェーンベルクを「現代音楽」にカテゴライズするには今となってはおかしいのかもしれない。何せ80年ほど前の話だ)
聴いていて、現代音楽とそれ以前の所謂ロマン派音楽との表現方法の違いについて考える。
以前カーターの作品に触れた時も感じたことだけれど、現代音楽というのはそれを表現する演奏者の持つ音楽性(あるいはその曲についての音楽的理解)かなりむき出しになって現れるのだと思う。
例えば、今回聞いたシェーンベルグのピアコン、変奏曲、これらもまだ耳馴染みやすい方ではあるけれども(「浄夜」は別、あれは後期ロマン派においていいと思う)それでもロマン派音楽程の主体性のあるメロディがあるわけではない。ともすればただの音の羅列になりかねないそれらを「音楽」まで引き揚げる(あるいは「表現する」)のはやはり演奏者の曲の理解と、そしてそれを楽しむところまで手にする事が重要なのだろう。これは、時代関係なく言えることではあるけれども、現代音楽に関しては顕著に表れる分、より意識する必要があるのではないか。
あともう一点。私自身も言えたことだが、日本人の現代音楽への敷居の高さについて。
最近ではクラシック音楽そのものについても足を向けられなくなっているのかもしれないけれども、さらに現代音楽については苦手意識が高まるような気がする。後期ロマン派以降の音楽への意識が格段に落ちるような雰囲気は、自分の身をもって感じるところだ。たとえば、昨日のようなオールシェーンベルクプロでは客は入らないだろう。(個人的な意見)もちろん、まずは聴いてもらわなければ意味はないのだけれど、ただ門戸を広げるだけではダメな気がする。そこから繋がるもの。たとえば昨日のような素晴らしい演奏が聴けるということ。
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